人は生きている限り、何かしら必ず音を立てます。
足音も同じで、歩いたり走ったり、階段を上り下りしたりするたびに、
それぞれ異なるリズムと音や振動を生みます。
もし誰かが「私はまったく音を立てません」と言うのなら…
その人はきっと、忍びに違いありません。

私は、この足音に良く悩まされます。
今回はそんな足音に悩まされる心の詰まりを綴ります。
足跡への悩みやイライラ
私は、作業に集中するまでに少し時間がかかることがあります。
でも、一度集中し始めると、その状態が簡単に切れることはあまりありません。
ただ、足音だけはなぜかすごく気になってしまって、集中が一気に途切れることがあります。
特に、屋内外を歩いているときに後ろから足音が近づいてきたり、
一定の距離感でずっと後ろから聞こえてきたりすると、
どうにも落ち着かなくなります。
ヒールの音や、踵をすって歩くような音が特に苦手で、
そういう音が聞こえてくると、思わず立ち止まって相手を先に行かせることもあります。
そういう音には、ほとんど無意識にイラッとしてしまいます。
本当は、すぐに気持ちを切り替えられたらいいのに
、気づけば嫌な感情がどんどん膨らんでしまって、
その人に対して嫌悪感や怒りを感じてしまうこともあります。
具体的な足音たち
とはいえ、すべての足音が気になるわけではありません。
気にならない音もたくさんあります。。
ただ、自分の中で「これは無理…」となってしまう足音がいくつかあって、
そういう音に出会うと、心がすぐに詰まってしまいます。。
いわば、心が詰まる三大足音。
ヒールの「カツゥン・コツゥン」


音が頭の中で響いちゃう



後を歩かれると。もうネ、イライラ…
ヒールがしっかりした靴で歩くときに響く、あの音。
「カツゥン、コツゥン」という硬い音。
この音が自分の背後から聞こえてきたら、私は立ち止まって道を譲ります。
前方にいるときでも同じです。一度立ち止まり、十分に距離が開くまで動きません。
これまで何度も、何十回も道を譲ってきました。
その多くの経験から、この足音が、自分の心にダメージを与える条件や関係性をまとめてみました。
ヒール音による心的ダメージの関係式
それが、こちらです。
-3.png)
-3.png)
左辺は、「足音によって受ける心のダメージ度」。
そして右辺には、いくつかの“変数”が登場します。
「屋内度」と「床の硬さ度」です。
まず分子にあるのは、「屋内度」と「床の硬さ度」。
閉ざされた空間ほど音はよく響きますし、
床が硬ければ硬いほど、ヒールが当たったときの衝撃音は増幅されます。
それに加えて、まだ正体不明の変数「a」もあります。
このあたりは、同じように“足音による心の詰まり”に悩んでいる方がいれば、
ぜひ意見を伺ってみたいところです。
そして、分母は「混み具合度」。
実は、足音が気にならない状況もあります。
たとえば通勤ラッシュの品川駅。
中央改札から港南口(東口)へと向かうあの雑踏の中では、
足音の洪水に紛れて、個別の音がほとんど気になりません。
むしろ、安心感すらあるくらいです。
この式の最大のポイントは、なんといっても「足音顕示度」。
これは、私自身の自己肯定感の低さから来る、少し偏見めいた変数かもしれません。
でも、なんだか妙に当たっている気もするんです。
というのも、「足音顕示度」とは、ある意味で“自己顕示”や“理想の自己表現”に近い感覚で、
軽快にヒール音を鳴らしながら颯爽と歩くその姿が、
「今の自分は、ちょっといい感じである」という気持ちと重なっていて、
それが行動として、音として、あえて“出ている”ような印象を受けるんです。
特にスーツ姿の人に多い気がします。
背筋を伸ばして、堂々と歩くスタイル。それが素敵なのは間違いないけれど、
私にとっては、その足音が「心の許容量」をじわじわ削ってくるわけです。
ちなみに、この「足音顕示度」は、式の中でかけ算にしています。
ここがミソです。
階段を踏みつける「ドゥン!ドゥン!」





すごい足を打ちつけてるケド、ナニ?怒ってるの?



これは…そうね、何も言えません。
ヒールの甲高い音も階段では響くのですが、
ここでは特に、靴底が平らで厚めの靴で特に多い気がします。
ただ普通に登るだけであれば、そこまで大きな音は出ないはず。
でも中には、足を上から下へと振り下ろすようにして、
階段に「ドゥン!」と打ちつけるように歩く人がいます。
まるで、ハンマーを振り下ろしているみたいな音。
ミョルニル…北欧神話に出てくるトールのハンマーを想起させるような、重くて響く衝撃音。。
音そのものが大きいだけでも十分ストレスなのに、
階段の構造によってはその影響がさらに強くなります。
たとえば、階段の側面が吹き抜けになっていて、
踏面が金属板でできているタイプの階段。
こうした構造だと、音が空間に反響しやすくなるだけでなく、
近くにいる自分にまでその振動が伝わってくるように感じます。



「なんで、そんなに階段に足を打ちつける必要があるんだろう?」



ナンデそう歩くのか、当然、本人には聞けないけどね。
この問いは、私にはたぶん一生かかっても解けないと思います。
あの衝撃音は、意識的にそういう動きをしないと出ない音ですし、
そもそも足や膝、腰など身体にも負担がかかりそうです。
階段を登るという、ただそれだけの動作が、
なぜここまで破壊的な音になるのか。
聞くたびに、心がざわついてしまいます。
上層階から聞こえる「ドスゥン・ドスゥン」





曲者!っていう、あの時代劇シーンだったら確実にやられちゃうよ



屋根裏にいる間者が相手に気付かれちゃうやつね。
これは集合住宅に暮らしている人間のある意味 “宿命”なのかもしれませんが、
私は日常的に、上の階からの足音に悩まされることが多いです。
あの「ドゥン!」という階段をのぼる時の足音を発生される人は、
おそらく、この音も出すはず。
これに限らず、こういった音を出す人は、
たいてい他の生活音もなかなか強めな気がします(独断と偏見)。
実は、私の上の階の住民もそうです。
「上層階部屋と音と私」の日常
1階角部屋の私の部屋のすぐ横の階段を「ドゥン!ドゥン」、



あ、帰ってきた…
ドア「バタァーン」



やっぱり上の階の人だ
引き戸「ゴロゴロロ(開けて)、 ピシャァーン(閉める!)」



部屋に入ってきた
「ドスゥン・ドスゥン」



歩いている(どこにいるか分かっちゃうよ)
引き出し「ズズズズウゥゥ」



何かしまってるのかな。
「ドスゥン・ドスゥン」



。。。
同じ引き戸「ゴロゴロロ(また開けて)、 ピシャァーン(また閉める!)」



キィィー
この床を貫通するような音は、踵(かかと)から足を着地させる程度が大きいために起こると思います。



…踵落とし音
音のみならず、この音も振動をもたらします。
映画のジュラシックパークで巨大な恐竜が近づいてきた時、
コップに入った水の表面に波紋が広がるあの感じを思い出します。


心の詰まりの原因
心の詰まりの原因を客観的に観察して調べてみると、
ミソフォニア(日本語では音嫌悪症と呼ばれるそう)と、
強迫症で説明されている内容がとてもしっくりきました。
それぞれは、Wikipediaと脳科学辞典で、次のように説明されています。
ミソフォニア(英語: misophonia, literally “hatred of sound”)、音嫌悪症(おとけんおしょう)とは、まれに診断される医学的な障害である。音の恐怖症とは区別される。原因は神経学的だと思われ、特定の音に対して否定的な感情(怒り、逃避反応、憎悪、嫌悪)が起こされる。
強迫症は不安症の一型であり、無意味ないし不適切、侵入的と判断され、無視やコントロールを試みても絶えず心を占める思考や衝動、イメージなどの強迫観念と、主には観念に伴い高まる不安を緩和、打ち消すことを目的とし、そのばかばかしさや、過剰であることを自ら認識し止めたいと思いつつも、駆り立てられる様に行う行為、すなわち強迫行為からなる。
引用:脳科学辞典|強迫症
つまり、イライラの原因のひとつは、
神経的な反応の問題で、足音という特定の音に対して私が過剰に嫌悪感を抱いてしてしまうことです。
実際にミソフォニアと診断されたわけではないので、
本当の原因はまだ分からないのですが、私が抱える症状にぴったりでした(笑)。
もう一つは、強迫症。
こちらもそう診断されたわけではないのですが、
説明内容がまさに自分が陥っている状態です。



迷惑にならないように、こっちは足音を立てないよう周りに気を遣っているのに、なぜ、足音を立てる人はそういった気を使わないのよ。



それは自分の価値観だし、押し付けない方がいいよ。



いや、だた理解できないんだよね。周りの人の存在が気にならないの?



考えたって仕方ないでしょ。その人に聞く勇気もないんだから。。
という具合で、脳内会話が延々と続きます。
これによってイライラ・ストレスが蓄積されていきます。
在宅で仕事をしている時は、もうダメです。



仕事がすすマン!なんで邪魔をするんだ!



だから、気にしないで集中しなよ。



何か自分 悪いことした?罰コレ?
このように、状況が悪くなっていくストレスが加わって、
思考が支離滅裂になり始めたら、もう収拾がつきません。
自分でも分かっています。
こんなふうに、日常の些細な音に心が詰まってしまう自分を、
正直、好きになれないこともあります。
できることなら治したい。でも、簡単にはいきません。
音の感じ方って、理屈じゃなくて、反射的なところもあるんですよね。
同じように、足音や生活音に敏感になってしまう方がいたら、
どんな音に反応してしまうのか、どうやって日々を乗り切っているのか、
すごく気になります。
耳栓を試してみようか……
それとも、防音グッズを探そうか……
そんなことを細々と考えている、今日この頃です。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
もし何か共感することがあれば、ぜひ教えていただけたら嬉しいです。