私は社会人という言葉を聞く度に、いつも違和感を覚えます。
というよりも、この言葉が好きではありません。
多様性や包摂・包括的社会という価値観を掲げている人が、無意識だとしても

…社会人
と発することにも、矛盾を感じます。


社会人とは、次のように言われています。
社会人(しゃかいじん)とは、一般的には学生や無職などの身分を除いた、職業を持つ成人を指す言葉である。社会人は、自身の職業における専門知識や技術を活用し、社会の一員として働き、生活を営む。また、社会人は、社会的なルールやマナーを理解し、遵守することが求められる。 社会人には、公務員、企業員、自営業者、フリーランスなど、様々な職業が存在する。それぞれの職業には、特有の役割や責任があり、それを果たすことで社会全体の機能が維持される。また、社会人としての行動や態度は、個人の信用や評価にも影響を与える。



うーん…
やはり説明されている内容も腑に落ちません。
社会人には、公務員、企業員、自営業者、フリーランスなど、様々な職業が存在する。
ということであれば、社会人とは言わず、その通りに職業に応じた呼称を使えばいい。
学生や無職などの身分を除いた、職業を持つ成人
この表現は、ある種の「内と外」を分ける排他的な言葉。
大学卒業後で、周りが「社会人1年目」と言っている時期、
私はその「社会人」にはなっていませんでした。
まだフラフラしてんの?早く社会に出なよ
と、当時の彼女に言われたことはショックでした(泣)。



あの…、夢が、その…
(それがきっかけで「社会人」という言葉に抵抗を感じ始めたことも事実ではありますが…)


↑ これが私が持つ「ザ・社会人」のイメージ。
社会人という言葉が持つ意味は、話者や文脈で変わると思いますが、
自分で働いて稼いでいる人、マナー・常識・責任感のある人、など、
一般的な共通認識は存在すると思います。
このような人達自体は素晴らしいと思います。
そこに何ら不満や違和感はありません。
ただ、この人達のことを「社会人」と呼ぶこと、あるいは、
そういった人達が自分たちの事を「社会人」と呼ぶことが良くない。


↑ この写真の中の全員が「社会人」でしょう。
働いているかどうか、責任やマナーの有無に関係なく、人は皆、社会に影響され、影響を与えて生きているという点で、すでに社会人であり、社会の一員である。
と私は思います。
「社会人」は便利ですし、悪い言葉ではないですが、
それを“当然の前提”とすることで、見えにくい排除が生まれてしまう、
ということが心配です。
社会人20年目です
と、20歳の人が普通に言える世の中になるといいなと思いつつ──、
私自身もつい、「社会人学生ですか?」なんて言ってしまうことがあるので(激白)、
偽善的主張への自省の念も込めて、
言葉の選び方にはもっと丁寧でありたいと感じる今日この頃です。